山崎様は、パーソルホールディングス株式会社のパーソルグループ人事企画部門で、長年、次世代経営人材の育成やタレントマネジメントの仕組みづくりに携わってきた。エグゼクティブ向けコーチングの導入も、もともとは山崎様自身が制度側として推進してきた施策のひとつだった。
その山崎様が1年前、グループの新規事業群を束ねる中間持株会社のパーソルデジタルベンチャーズ株式会社の執行役員に着任し、人事・組織領域を管掌することになった。現在は人事に加え、広報領域も管掌している。これまで制度を届ける側にいた人が、自ら制度を受け取る側、それも自らの決断で組織を動かす当事者になったのである。

山崎 涼子氏
パーソルデジタルベンチャーズ株式会社
人事・広報本部
執行役員
役割が変わると、なぜ判断軸が揺らぐのか
着任当初を、山崎様は「充実していたが、これまでにないほど濃密な1年だった」と振り返る。上司も同僚も部下も全員が初めての顔ぶれ、対峙する各社の社長たちは事業への熱量が強く、個性も強い。信頼関係もゼロから築かなければならないうえに、成果への期待もかかる。何から手をつければいいのか整理がつかないまま、着任から最初の3ヶ月は手探りの状態が続いたという。
ここで起きていたのは、単なる経験不足ではない。前のポジションでは、人事の専門性を持つ上司が最終的な意思決定をしてくれていた。しかし新しい環境では、上司は人事の専門家ではなく事業のトップである社長になり、人事に関することは自分自身の判断軸で決めなければならなくなった。それまで拠り所にしていた「上位者の専門性」という緩衝材が消え、ステークホルダーが総入れ替えになり、なおかつ成果への期待は変わらずかかり続ける。これは山崎様に限った話ではなく、新任の部長・役員、海外赴任者、事業責任者など、役割が変わるすべての人に共通して起こりうる構造だ。能力が足りないのではなく、これまで機能していた判断の拠り所そのものが通用しなくなる。だからこそ、揺らぐのは能力ではなく判断軸なのである。
手探りの中で、まず現場に入り込む
着任直後、山崎様は闇雲に施策を持ち込むことをしなかった。上司からの唯一の指示は「現場をしらけさせるな」というものだった。人事が”人事屋”として制度論から入れば現場は白ける。そう考えた山崎様は、まず各社の経営会議に陪席させてもらい、何が決まり、何が問題になっているのかを一つひとつ理解することから始めた。事業の言葉もKPIも分からないところからのスタートだった。そのうえで、各社の社長たちが今何に困っているのかをとにかく聞き、聞いたことにできる限り応える。関係構築とは答えを持ち込むことではなく、相手が困りごとを出しやすい状態をつくることなのだと、体を張って試行錯誤していった時期だった。
一人で抱え込まなかった、という選択
この試行錯誤を支えたのは、一つの手段ではなかった。各社の経営会議に陪席できるよう上司が采配してくれたこと、社内のメンターに相談できたこと、そしてコーチという第三者に本音を話せる場があったこと。複数の支えが並走していたからこそ、前に進めたと山崎様は振り返る。
その中でコーチとの対話が担っていたのは、答えを教えることではなかった。コーチは答えを与えるのではなく、本人が意思決定できる問いを共につくる存在だった。人から頼られると、つい自分が答えを出さなければと思ってしまう。しかし対話を重ねる中で、目の前の悩みの奥にある、より本質的な問いに気づけるようになっていった。「なぜ今こう感じているのか」「これを通じて何を実現したかったのか」――一歩引いた問いを自分に投げることで、抱え込んでいた悩みが、実はそれほど大きな問題ではなかったと着地することも増えたという。
意思決定そのものについても、対話の中で「リスクを洗い出し、自分がそのリスクを引き受けられるかどうかを見極める」という軸を得たことが転機になった。得意分野だったリスクの洗い出しに、”引き受けられるか”という判断基準が加わったことで、Go/No-Goを決められるようになっていった。最初は時間がかかったが、場数を重ねるうちに、4月より6月の方が大きな意思決定ができるようになっていく手応えを感じたという。
視座が変わり、届ける側としての前提も変わった
当事者として現場に立って初めて見えたこともあった。制度を届ける側だった頃、山崎様は受講者の苦悩を「知識や経験の不足」だと捉えていたという。しかし実際に自分が体験してみると、揺らいでいたのは能力ではなく、自分のリーダーシップの型が通用しないという、もっと根本的なところだった。
今も続く、リーダーシップの更新
1年を経た今も、山崎様の課題は終わっていない。むしろ、意思決定という自分自身の内側の話から、組織全体・周囲への働きかけへと更新の対象が広がっている。
一つ目は、判断軸に続く更新として、自分の成果を可視化し周囲の共感と巻き込みを広げていくこと。自慢するように成果を語ることには抵抗があるが、それも伝え方次第だと捉え、戦略仮説への共感者を増やしていく必要があると感じている。二つ目は、複雑な状況を整理し問いを立て対話を設計するという、この1年で自分が担ってきた役割を少しずつ人に委ねていくこと。メンバーの少ない体制で自ら動いてきたことは着任期には良かったが、個人の力量に依存したままでは組織の力にならない。三つ目は、不確実性を前提に仮説を立て、あえて未完成のまま外に出し、試行錯誤しながら大胆に語り、推進していくこと。慎重で誠実であることを強みにしてきた山崎様にとって、これは今も苦手意識のある挑戦だという。
判断軸の更新から始まり、問いを立てる力を得て、今は周囲への委譲と発信へと更新の対象を広げている――これが山崎様にとってのリーダーシップのアップデートの具体像であり、同じように新しい役割を経験し始めた人が、次に必ず向き合うことになる課題でもあるはずだと山崎様は語る。
届ける側だった自分が、当事者になって見えたもの
制度を届ける立場から、当事者として新たな役割に向き合う立場へ。
山崎様がこの1年間で経験されたのは、知識や経験を積み重ねること以上に、自らの判断軸を見つめ直し、リーダーシップのあり方を問い直していくプロセスだった。
制度を届ける側だった頃には、「知識や経験の不足」と捉えていた受講者の悩みも、自らが当事者となって初めて、その本質は能力不足ではなく、役割の変化に伴う判断軸や視座の揺らぎにあることを実感したという。コーチングも「能力を高めるための場」としてだけでなく、「自分の考え方の軸を深め、実践する場」として位置づけることで、当事者としての実感に近づけるのかもしれない――そう気づいたことも、届ける側としての前提が変わった、この1年の収穫の一つだ。
その気づきは、育成制度そのものを否定するものではない。むしろ、制度や研修に加え、当事者が自ら考え、問いを立て、自分なりのリーダーシップを築いていくプロセスをどう支えるか――その重要性を、実体験を通して改めて認識する機会となった。
役割が変わるたびに、求められるリーダーシップも変わる。
だからこそ、リーダーは自らのリーダーシップを一度完成したものと捉えるのではなく、その都度問い直し、更新していく必要があるのだろう。
山崎様の1年間は、そのプロセスを体現した一つの実践例である。
そして、その経験は、新たな役割に挑むリーダーだけでなく、その成長を支える人事や育成担当者にとっても、多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。
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